「買わない」という贅沢

エゴによる買い物

お金を使わないことを選択できる自由がある人、そんな人が「裕福な人」なんだと思います。

『+R』な暮らしを送るようになって、お金やモノ、所有に対する考え方が少しずつ変化してきました。昔も今も欲しいモノはいろいろありますが、それを実際に買うこと、所有することに対してとても慎重になってきました。で、慎重に選ぶその道程がとても楽しい。

変な話、今買ったモノが死ぬまでもってしまう可能性は充分にありますし(すでに20年以上使っているヤカンや包丁もあります💦)、では死ぬまで使うかもしれないと思った時に、中途半端に好きでもないものを使っていたら私の残り時間がもったいない!

だったら本当に欲しいもの、愛せるものを選ばないと、最後まで使いこなせないなと感じるようになり、高い買い物はもちろん、日用品についても、”とりあえず”で買ってしまうことが圧倒的に少なくなってきました。

もちろん深く考えずに何でも買うことの出来る経済的余裕はうらやましいけれど、使いこなせないなら家も散らかるし、ジャマになってしまう。そもそも、そのモノに対して失礼ですよね。
モノを次から次へと買って、使わずに溜め込んでいる親世代を見ているせいもあり、買うResponsibility:責任、所有するResponsibility、使うResponsibilityを改めて考え直しています。

  • 本当に欲しいかどうかあまり考えずに買ってしまう
  • 限定品だからとあせって買ってしまう
  • 誰かにアピールするために買ってしまう
  • 流行りだから買ってしまう
  • とりあえず持っておくかと買ってしまう
  • 友人の手前買ってしまう

どれもこれも、Responsibilityを放棄したエゴによる買い物になってしまっていたのかもしれません。

お金を使わない自由がある人

今すぐ買わずにしっかり考えてみる、自分の暮らしに取り入れた様子をシミュレートしてみる、その商品のバッググラウンドを知ってみる、何なら買わないという選択も良しとする。
こんな風に、お金を衝動的に使わないことを選択できる自由がある人、そして必要な時には必要な能力とお金を出すことができる人、そんな人が「裕福な人」なんだと思います。

何でもすぐに買ってしまえるお金がある人は、「お金持ち」ではあっても「裕福」ではないのかもしれません。
もちろんお金持ちはうらやましい部分もありますが、願わくば「裕福な人」になりたいなと思う日々です。

たとえその時に買わなくても、本当に自分と縁のあるモノは、めぐりめぐって再び出会えたりするものです。今すぐ買わなくても、必要な時には買えるという自分の将来に対する信頼があれば、衝動的な買い物に捕らわれず、今必要なものをもっと純粋な目で探すことができるのかもしれません。

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